荒牧陽子が味わった屈辱の10年間! 売れるまでの過程で家族も悩まされていた!
2011年7月からモノマネを始め、1年も経たぬうちにレパートリーは40曲以上、本家歌手をも唸らせる上質な歌声が魅力のものまねタレント・荒牧陽子

日本テレビ系『スター☆ドラフト会議』で取り上げてからはトントン拍子でブレイクを果たし"新ものまね女王"の名を欲しいままにした彼女だが、30歳でブレイクするまでの間は全くの無名。売れない日々が続いた。

5月6日に放送された日本テレビ系『誰だって波瀾爆笑』によれば、当時17歳にして『ルックルックこんにちは』の長寿コーナー「女ののど自慢」に出場。抜群の歌唱力は当時から十分に発揮しており、この頃荒牧陽子歌手を目指していた。

地元の焼肉店でアルバイトし資金100万円を貯めていざ上歌手になるべく色々なオーディションを受験するも不合格ばかり。
「最終選考まで残るけどそこ止まりで、合格した人を見てはなんでこの人は自分よりもそんなに上手くなかったのに受かったんだろう・・・・・・この人にあって自分に無いものは何だろう??」と納得のいかない時も少なくなかったそう。単純な歌唱力なら、確かに荒牧陽子に勝る人物はそうそう現れないだろう。

バックコーラスやカラオケのガイドボーカルをこなしてお金を稼ぎながらも歌手になる夢は諦めず、悩みに悩んだ。
自分を差し置いてオーディションに合格した人たちを見つめると、「ずば抜けてスター性があったり、自分には出来ないと思う事をその人はやっていた」ことに彼女は気付いた。

そんな折、『スター☆ドラフト会議』から出演のオファーが届いた。最初は半信半疑でイタズラじゃないかと思ったそう。
「自分はずっとものまねの道を進むことになるのか・・・」と新たな葛藤も生まれた。
そもそも歌手になるために上して辛抱してきたのであり、ものまねをやる考えは皆無。もし歌手としてデビュー出来る機会がやってきても、ものまねタレントのイメージが染み付いているのではと不安になった。

しかし自分の中でとても長く感じた10年も、他の同業者に訊くと(売れるまで)20年いや30年かかったという人もおり、自分の認識が甘かったと痛感。
オファーを受けてブレイクした今、「(仕事を)やらせて貰えることがどれだけ凄い事かという事が分かってきた」と考えを改心しものまねタレントとして全力で活動している。

実は荒牧陽子本人だけでなく、家族も10年間周囲の声に耐えてきたようで、上後一向にブレイクする気配のない彼女に対し「いつになったらテレビに出るの?」「東に行っても陽子ちゃんは全然ダメだね」などとイヤミを言われてきたそう。
彼女もそれが非常に悔しかった。ひとたび売れてからは家族も「自分たちの支えになっている」「周りの人からも(活躍を)観たよ!良かったよ!って言ってもらえる」と大いに喜んでいる。

最近では歌マネだけでなく、「○○が×××を歌ったら・・・」といったアレンジネタも練習して徐々に披露し始めている。
歌手はなく、ものまねタレント・荒牧陽子としてまだまだ高みを目指す。
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