島田紳助、首吊り自殺を考えていた!? 金儲けに飛びついた人気漫才師の苦悩とは…?
(09/11)
先月23日に芸能界を電撃引退した島田紳助(しまだしんすけ=55)。
引退から日が経ち、彼と暴力団関係者との"黒い交際"が徐々に明らかになっていく一方で、「名司会者」「人気タレント」として活躍していた島田の人知れぬ苦悩を語る人物も現われ始めたという。
『週刊ポスト』が報じている。
島田が芸能界入りしたのは1974年、18歳の時。
人気漫才コンビ・B&Bに憧れ、B&Bの師匠である島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に弟子入りし、その後1977年に松本竜介(松本竜助・まつもとりゅうすけ=享年49)と共に紳助・竜介としてデビューを果たした。
その頃、世は漫才ブーム。確かな実力を武器に追い風に乗った紳助・竜介は『THE MANZAI』(フジテレビ系)などに出演。
同番組は1980年代のフジテレビを代表するお化け番組で、視聴率が関東地区で32.6%、関西地区で45.6%を記録した回もあった。
そんな中、島田は着実に知名度・人気を獲得し、人気漫才師の仲間入りを果たしたのだった。
「紳ちゃんは芸人としてもすごいけど、そんだけやない。まだコンビ結成する前から、漫才のネタが5、6本あってん。ネタ作りは先輩方の舞台をよく見て分析してたわ。やす・きよ、中田カウス・ボタン……『絶対有名になってやるんや』っていうのが口癖やった」(かつての芸人仲間:週刊ポスト)
売れない芸人のギャラが安いのは今も昔も同じ。
島田もデビュー当時は一舞台につき僅か200円のギャラからスタートしたが、コンビ結成5年後には年収は1500万円の売れっ子になっていた。
しかし売れっ子ゆえ、東京・大阪間を週に何度も往復する多忙な生活を続ける中、病魔が容赦なく島田の体を蝕んでいく。
治療のため、ベッドに寝たきりの生活を強いられたのは、人気絶頂の80年代半ばのことだった。
「腹膜炎から腸閉塞を併発したんです。"痰を吸引するチューブで首を吊って死のうと思った"と後に語るほど苦しんでいた。もとから体も弱かったので、今後の人生について思い悩んだんでしょう。その頃からですかね、紳助が変わったのは」(吉本興業関係者:同)
入院中は傷み・苛立ち・不安で精神的にも極限状態だったという。
世話をしてくれる家族の前で泣きながら大声を出したり、唯一動かせる手で物を投げつけたりしていた。
その後、回復した島田は二度と大病を患うことのないよう積極的に予防に努めるようになった。
さらに漫才以外のビジネス・副業に興味を示すようになったのもこの頃。
フットワークの軽さと人脈を武器に、島田はスナックやラーメン屋など、次々に新事業を展開していった。
「台湾産のウナギの養殖までやってたね。そいで京都の実家に穴掘って、池を作ったんよ。そしたら、紳助のおやじさんが池を見つけて、『こんなところに穴掘ったら、家相が悪くなる』って激怒してすぐに埋めてしまった(笑い)。この頃の紳助は金儲けならなんでも飛びついたね」(在阪テレビ局スタッフ:同)
漫才でもビジネスでも成功した島田を、いつしか芸能人仲間たちは「芸能界のドン」と呼ぶようになった。
その名の通り年齢を重ねてからの島田は自分の番組のキャスティングを好きなように行ったり、アイドルグループをプロデュースしたりするなどやりたい放題。
しかしその裏には、「いつまた病気を再発し、死ぬか分からない」という不安があったのかもしれない。(高橋)
引退から日が経ち、彼と暴力団関係者との"黒い交際"が徐々に明らかになっていく一方で、「名司会者」「人気タレント」として活躍していた島田の人知れぬ苦悩を語る人物も現われ始めたという。
『週刊ポスト』が報じている。
島田が芸能界入りしたのは1974年、18歳の時。
人気漫才コンビ・B&Bに憧れ、B&Bの師匠である島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に弟子入りし、その後1977年に松本竜介(松本竜助・まつもとりゅうすけ=享年49)と共に紳助・竜介としてデビューを果たした。
その頃、世は漫才ブーム。確かな実力を武器に追い風に乗った紳助・竜介は『THE MANZAI』(フジテレビ系)などに出演。
同番組は1980年代のフジテレビを代表するお化け番組で、視聴率が関東地区で32.6%、関西地区で45.6%を記録した回もあった。
そんな中、島田は着実に知名度・人気を獲得し、人気漫才師の仲間入りを果たしたのだった。
「紳ちゃんは芸人としてもすごいけど、そんだけやない。まだコンビ結成する前から、漫才のネタが5、6本あってん。ネタ作りは先輩方の舞台をよく見て分析してたわ。やす・きよ、中田カウス・ボタン……『絶対有名になってやるんや』っていうのが口癖やった」(かつての芸人仲間:週刊ポスト)
売れない芸人のギャラが安いのは今も昔も同じ。
島田もデビュー当時は一舞台につき僅か200円のギャラからスタートしたが、コンビ結成5年後には年収は1500万円の売れっ子になっていた。
しかし売れっ子ゆえ、東京・大阪間を週に何度も往復する多忙な生活を続ける中、病魔が容赦なく島田の体を蝕んでいく。
治療のため、ベッドに寝たきりの生活を強いられたのは、人気絶頂の80年代半ばのことだった。
「腹膜炎から腸閉塞を併発したんです。"痰を吸引するチューブで首を吊って死のうと思った"と後に語るほど苦しんでいた。もとから体も弱かったので、今後の人生について思い悩んだんでしょう。その頃からですかね、紳助が変わったのは」(吉本興業関係者:同)
入院中は傷み・苛立ち・不安で精神的にも極限状態だったという。
世話をしてくれる家族の前で泣きながら大声を出したり、唯一動かせる手で物を投げつけたりしていた。
その後、回復した島田は二度と大病を患うことのないよう積極的に予防に努めるようになった。
さらに漫才以外のビジネス・副業に興味を示すようになったのもこの頃。
フットワークの軽さと人脈を武器に、島田はスナックやラーメン屋など、次々に新事業を展開していった。
「台湾産のウナギの養殖までやってたね。そいで京都の実家に穴掘って、池を作ったんよ。そしたら、紳助のおやじさんが池を見つけて、『こんなところに穴掘ったら、家相が悪くなる』って激怒してすぐに埋めてしまった(笑い)。この頃の紳助は金儲けならなんでも飛びついたね」(在阪テレビ局スタッフ:同)
漫才でもビジネスでも成功した島田を、いつしか芸能人仲間たちは「芸能界のドン」と呼ぶようになった。
その名の通り年齢を重ねてからの島田は自分の番組のキャスティングを好きなように行ったり、アイドルグループをプロデュースしたりするなどやりたい放題。
しかしその裏には、「いつまた病気を再発し、死ぬか分からない」という不安があったのかもしれない。(高橋)
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